ブログの更新をサボりすぎると、トップ画面に広告がき、
その画面が「早く更新しなさい!」と怒っているかのようで見て見ぬ振りをしていたら、今度はリアルな人間から直接「更新しなさい」と怒られ。
この間、フィーリングのあう知り合いから「お薦めだよ!」と、内田樹の本を紹介されて驚いた。そして曰く「すごくバランス感覚がいいんだよ!」というから、これにも大層驚いた。
というのも、自分が人にお薦めの本を聞かれたなら内田樹の本を紹介するし(相手は選びますが)そのときに「バランス感覚がよくてね」と紹介するから。
なるほど、フィーリングが合うわけだ。
それでふと三島由紀夫やら夏目漱石の話になり、
「名作が名作たるゆえん」を自分の肌で感じたいよね、やらそんなことをお互いに言い合っていたけれども、その時に今さら天啓のように気がついたのは、そういった名作の面白さは「つまるところ」なんて一言で語れんと。
三島由紀夫の『金閣寺』を読んだ後は、なんだか頭の中がネットリとして、正直、面白かったのかつまらなかったのか、それすらも分からない。ただとにかくネットリとして、
「その面白さを伝えてよ」と頼まれても、
「不遇な子供時代を送った子供がね、歪んだ恋愛感情を持っちゃって、あげく金閣寺を好きになったんだ」と説明して、
「きみの説明からは、何の面白さも伝わってこないな」と言われるのがせいぜい。
でもとにかく頭の中ではネットリとしていて、まあそのネットリが文学的ななにかなのか。
それで本当は、内田樹の『日本辺境論』にいたく共感して、それとなにかのアナロジーで文章をと思っていたけれど、
ここから書いても、書き出しとはちぐはぐになっちゃうから。
心はいたって健全だけど、久々に書いた文章は頽廃的、