新年あけましておめでとうございます。
去年を一文字で表すと「忍」。
見えない力が何度か働きましたが、それをポジティブに受け流せた一年でした。
思えば、
一昨年は急坂をごうと進む「転」だったのが、一転してでこぼこ道に。必死に”まるまる”ことで、途中で止まらず、余勢をかってやり過ごせました。
とはいえ、まるまりすぎると自分らしさを見失うのではないか、と不安に思います。
今年は「転」と「忍」の中間でありたいものです。
ちなみに、忍をやり過ごせたのも、多くの人の助力のおかげでした。
助言をくれた人、愚痴を聞いてくれた人、急な飲みにつき合ってくれた人など、ささいな助けに頭が下がります。
恩義を忘れて信頼を失わないよう。今年もテーマは「謙虚たれ」です。
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静かに本を読むのが一番です。
新年に読んだ本など、つらつら書いてみます。
もの食う人びと (角川文庫)
辺見 庸
飽食の日本を旅立ち、世界中の紛争地や飢餓地帯の食を描くルポ。昔から読みたい本でした。
冒頭にある、残飯をあさるバングラデシュの子どもの一節。
「・・・肉を食らう子どもの背後のゴミ捨て場では、別の男の子と野犬とカラスがいがみあってゴミをあさっている。食べ残すということが罪であるとしたら、この子たちがその罪をあがなっているのだった。」
なんだか胸のうちから、痛みがわきあがります。
風林火山
井上 靖
司馬遼太郎が「背景のなかで躍動する人物」を描く名人としたら、井上靖は「人物そのもの」をダイレクトに描く名人だ。また言い換えれば、司馬が女性を、井上が男性をたくみに描くのか。
どちらにせよ、一気に読みきれる本はうれしい。
水は答えを知っている―その結晶にこめられたメッセージ
江本 勝
副専攻の忘年会でもらった本。エセ科学本と評判だが、たしかに気持ちが悪い。
著者は言う。「ありがとう」と声をかければ水はきれいな結晶を結び、「ばかやろう」だと結晶ができない。これは波動の理論で説明できるはず、近い将来、証明されるはずだ、と。
・・・気持ちが悪い。
科学を生業にしていると、間違いのない結果が出て初めて論文を出す。それこそ、科学が実証主義だといういわれだ。
一方で、科学の良いところは「エラー修正機構」があるところ、というのはカール・セーガン。そういう観点では、仮説を臆せず発表できる舞台も大事である。
とはいえ。度が過ぎるのもまた痛い。
上記の批判本『水はなんにも知らないよ』のなかには、こう書いてある。
「馬鹿馬鹿しい説ほど科学者が無視して残ってしまう」
エセ科学の根幹を鋭くえぐる一言だ。
水はなんにも知らないよ
左巻 健男