ペットボトルには、ラベルをはがすための「ミシン目」がついている。しかしその種類はいろいろだ。はがしやすいものから、はがしにくいものまで、多岐にわたる。
ほとんどのミシン目は二本線でできており、細い帯の切れ目をきっかけに、ラベルをはがすことができる。Blendyがその一つ。
(写真、真ん中)
しかし中にはできの悪いものも。三ツ矢サイダーのミシン目は一本線。「これをラベルの上から下まではがせ」と言われても、骨の折れる話だ。
(写真、左)
外国の製品はそもそもミシン目でないものも多い。evianの場合には、ラベルを横側にはがすことができる。はがし始める部分は、付箋紙のような弱い糊でくっついているので、消費者のことを考えている。
(写真、右)
コカコーラには、そもそもラベルをはがすという概念がない。ペットボトルに沿って「スポッ」と外れる設計になっており、これは秀逸だ。
ペットボトルのラベルの形状を見るたびに、「科学」と「社会」の接点を感じる。
ペットボトルを捨てるとき、ラベルをはがす。その便宜のため、科学者は苦心した末、ミシン目をつけることを考え出したことだろう。だけど実際には、ラベルをはがさず捨てる人も多い。
すると科学者はこう怒る。「なんでラベルをはがさないのだ!」と。
理論的な世界で生きてきた科学者は、人間のエゴがもたらす”バグ”を直視したがらない。仮にそのエゴを見つめても、「そういう人がいるから環境破壊がおこる」と一般化して諦観する。これではただの評論家だ。話が進まない。
ラベルをはがさないことを嘆くくらいなら、はがさせる工夫をする方が建設的である。事実、コカコーラのラベルは、消費者の観点からよく考えられたものだ。
その他にも、アイディアは山ほどある。
・ラベルの裏に「当たりくじ」を印刷する。
・ラベル10枚と商品1つを交換。
・ペットボトル用のゴミ箱に捨てると、自然とラベルがはがれる。
・そもそもラベルを使わず、ペットボトルそのものに商品名を印字する。
考え出せば、きりがない。
ミシン目をはがすときに、爪を立てるのは嫌だな・・・はがすのは億劫だな。疲れていて、ラベルをはがす元気もない。そもそも面倒なんだよな・・・
こういう生々しい感情を無視して、「科学を社会に応用する」と言うのはキレイ事だと思う。