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利休にたずねよ

2009.03.24 Tuesday | category:深く考えたこと
 直木賞受賞作。その中ほどにある一章が「三毒の焔」。
 ここに書いてあるエピソードが、まことに深い。


 禅僧である宗陳は、豊臣秀吉や石田三成を目の敵にしている。
 彼らの血気盛んな(いまふうに言えばギラギラした)人柄を評して、下のように言う。

 ――まったく、人の世には、三毒の焔が燃えさかっておる。
 三毒は、仏法が説く害毒で、貪欲、瞋恚(しんち)、愚痴、すなわち、むさぼり、いかり、おろかさの三つである。
 つらつら思えば、世の中のわざわいや有為転変、人の浮き沈みは、ほとんどこの三つの毒で説明がつく。人が道を誤るのは、たいていこの三毒が原因だ。


 秀吉が天下人になれたのは、三毒が人並み以上に強いからだ、と宗陳は言う。
 そして、三毒に冒されすぎた俗人は、哀れで微笑ましい、とも言う。

 だが、そう評する宗陳の心は、三毒の裏返しに他ならない。
 三毒でおとしめる本人こそ、三毒の権化である。

 ――わしは、なにを思い上がっていたのか。
 秀吉や、三成が、毒に冒されていると見下していたが、その実、毒に満ちていたのは、ほかでもない、自分自身ではないか。そもそも、人を見下すなどということは、おろかさの毒のなせるわざではないか――。


 長明の無常観は、世知辛い社会のオアシスだ。
 老荘の考え方も、周期的にブームになる。
 これらはそろって、三毒を戒める。
 だけど、やれ無常、やれ無欲といっても、それは一時のまどいを酒で忘れるようなもの。

 そんな試合放棄の先には、何も生まれない。(
 そして利休は、宗陳に諭す。

「人は、だれしも毒をもっておりましょう。毒あればこそ、生きる力も湧いてくるのではありますまいか」・・・
「肝要なのは、毒をいかに、志にまで高めるかではありますまいか。高きをめざして貪り、凡庸であることに怒り、愚かなまでに励めばいかがでございましょう


 三毒は相手に向けるものではない。自分に対して向けるもの。
 そうであればこそ、毒が回らないよう、努力するしかない。

利休にたずねよ
利休にたずねよ
山本 兼一

| author : もっちー | 01:11 | comments(0) | - |

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