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2012.06.23 Saturday | category:-

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サステナビリティ vs. エゴ

2011.04.29 Friday | category:深く考えたこと
「原発事故はいつか起こる。確率が低くても、どこかの世代で起こる。
”次の世代にツケを回さない”というサステナブルな生き方が求められている。いまの原発の安全性は数十年のレベル、これを数百年のレベルにしないとだめだ。」

 ・・・と、その理屈はよく分かる。
 とはいえ、ぼくたちが生きている時代は「いま」だ。
 数世代先のリスクを声高に叫んだところで、結局は自分がイチバンかわいい。サステナブルという言葉を掲げられても、机の上のきれいごとに聞こえる。

        *

 四年前のブログに、ちょうど同じようなことを書いた。(ココ
 そのとき思ったのは、だけど自分の子どもが育ち、孫が産まれたときはどうだろう? 「この子たちのために・・・」という感情は、”自分がイチバンかわいい”を通り越し、一個・二個下の世代まで大事に感じる思いを生み出すのではないか。
 自分の世代さえよければというエゴを脱却させるものは、このような親子愛かもしれない。

 そのときはそれで納得した。
 けれどもサステナブルとなったら、一個・二個下の世代でなく、さらに一般化した議論をしなくてはならない。n世代の問題だけど、帰納法では証明できない。
 ならばここでも、やはりキーワードは「愛」だろうか? 世代によらない愛――それはなんなんだ!? 人間愛? 博愛? それがなんであれ、その愛は「自分がイチバンかわいい」というエゴに打ち勝てるのか!?
 ・・・勝てないんじゃないかな。

 少なくとも理想論では、この問題は解決しなさそうだ。

| author : もっちー | 00:43 | comments(0) | - |

ノーベル平和賞はすごいと思う。

2010.10.08 Friday | category:深く考えたこと
 世界の歴史を学んでて思うのは、「この人はすごい!」という人が、ノーベル平和賞を受賞していること。
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 1953:マーシャル(マーシャルプランによるヨーロッパ復興)
 1964:キング牧師(人種差別に対する非暴力運動)
 1983:ワセル(ポーランドの解放)
 1990:ゴルバチョフ(東西冷戦の終結)
 1993:マンデラとデクラーク(南アフリカのアパルトヘイト)
------------------------------------------------------------------------
 逆に言えば、ノーベル平和賞受賞者をたどっていくと、世界の歴史が浮き彫りになってくるのでは? と思う。

 今年は劉暁波――中国で行った民主化運動が評価されたとのこと。
 さらに、ノーベル財団からのプレスリリースは次の通り。
「・・・中国の憲法35条には『言論、出版、集会、結社、行進、大衆運動の自由は、これを保障する』とある。しかし実際のところは、これらの自由は非常に制限されている。・・・」
 これは中国も怒る。
 冷戦構造を彷彿とさせる。
 イデオロギー批判ともとられかねない今回の受賞は、とても興味深い。

 文化大革命が起こり、さらに天安門事件が起こり、民主化の機運が高まる。いまの中国はこの文脈のまっただなかにあろうが、果たしてこの先どこに行くのだろう。
 ノーベル平和賞が世界の歴史の節目にあるとするなら、僕らがおじいちゃん・おばあちゃんになった頃には「振り返ってみれば、劉暁波にノーベル平和賞を与えたのは先見の明だね」という時代が来るのかな?

| author : もっちー | 22:21 | comments(0) | - |

爆問学問からのひらめき

2010.04.11 Sunday | category:深く考えたこと
 三年くらい前に、突如起きたマイブームが世界史。
 その勢いで、ロバーツ著「世界の歴史、10巻、新たなる世界秩序を求めて」を買っていた。
 当時、何度かお世話になっていた立花隆が、本書のあとがきに「日本の成人すべてに読んでほしい現代史三冊」という文章を書いていたのが決め手で、これまた、日本の成人すべてに読んでもらいたいような名文。

 そして三年越しにこの本を本棚から取り出し、いまさらながら、のっそり読み出した。
 ロバーツ節はとどまることを知らず――
 僕らの目から見ると、21世紀の現代は、イデオロギーが冷戦から宗教問題へと移ったととらえるが、ロバーツの手にかかると、大航海時代から帝国主義にかけて全世界へ乗り出したヨーロッパ支配の世界観が、第一次世界大戦あたりから調子が狂い、第二次世界大戦以降、その崩壊は加速化し、現代はその渦中にあると。
 なるほどこれは壮大だ。
 そしてやけに腑に落ちる。
 まるで、氷河期は過去のものではなく、いまは氷河期と氷河期の間の暖かい時期なんだと言われるような視点の転換で。
 そういう見方もあるものか、と

 ロバーツの本を取り出した理由は、この間の爆問学問に、明石康が出ていたから。
 氏が語る印象的な交渉が「ユーゴ紛争」だったというにもかかわらず、それがどういうものをまったく知らず「これはいかんなぁ」と思った次第。

 科学をやる上で世界史は必須の教養だとずっと思っていて(それはそれでぼちぼち勉強はしていたのだけれど)、
 というのも、いまの研究を客観視するには遠からず科学史が必要で、それも少し時代をさかのぼると、間もなくルネッサンスあたりで世界史とぶつかる。世界史と科学(と哲学とキリスト教)は、切っても切れない関係にあるんだなー、と実感していた在学中。
 そう分かっていても、目先に仕事が山積していると、そちらまで手が回らず。

 ここいらで本腰入れて勉強しようと決意。
 全十巻と長いシリーズだが、一ヶ月に一冊のペースで読んでいけば、一年がかりでお釣りがくる?
 そんな皮算用をしたこの週末。


| author : もっちー | 00:29 | comments(0) | - |

盲腸をめぐって思ったこと

2009.05.20 Wednesday | category:深く考えたこと
 昨日までのあらすじ。
 耐えがたい腹痛を感じたのが一昨日。
 一晩眠ると痛みはやわらいだが、右下腹部にしこりのような鈍痛が残る。
 食あたりと思っていたが、同僚に勧められて病院にいくと、「典型的な虫垂炎」という診断を受けた。
 このところ盲腸は薬で治ると聞いているも、お医者さんには「ここまで腫れると、基本的には手術の適応だね」と言われる。手術となると勇気が要るので、決断を保留した。

 そして今日。
 一晩かけて「手術は辞せず」の覚悟を決め、さらなる診断を受けるべく病院に。
 すると・・・

「その後、調子はいかがですか? まだ痛いですか?」
「少し痛いですけど、昨日よりはおさまってきました」
 と、触診をしだす先生。
「ま、これなら薬で散らして、大丈夫そうだね」

 せっかくの覚悟が・・・
 薬という選択肢が、一気に魅力的に見えてきました。

「どうしましょう。手術がイヤでしたら薬で様子を見る選択肢もありますし、いっそ切断して憂いをなくすのもありですし。薬がいいという人に、手術をするのもなんですし」
「薬で治すと、再発するとよく聞きますが?」
「盲腸の中には再発しやすいタイプがあってね。あなたのは違いますよ。ただ、再発しないとはいえないですけれど」
「それは薬では完治しないということですか?」
「すでに痛みがやわらいでいるので、炎症は治まってきて、膿がだんだん出てると思います。これから薬を飲んで痛みが止まっていけば、膿が除かれると思いますよ」
「えっと・・・それは完治ということで?」
「完治というか・・・膿が完全に除かれるとは言い切れないですし、痛みがなくなったからといって手術をしなくていい、というわけではないんですね」
「うううーーーん」
「まあ、今週末まで薬で様子を見て、それでも痛みが引かなければ、手術をしましょう」

 やたらと平行線ですが・・・
 お医者さんからすると、完治するのは「虫垂を切り取ったとき」で、薬で治すかぎり完治はありえない。ただ自分は「いまの症状がもとの状態に戻る」のが完治のイメージで、人並みの盲腸発症率はいとわない。
 このかみ合わなさに、話しながら苦笑い。


 ただこれは「インフォームド・コンセントの弊害」の典型例か。

 手術にせよ薬にせよ、どちらもメリット/デメリットがある。
 それぞれを丁寧に説明されても、「どちらにしますか?」といわれて答えは出せない。
 結局、自分の答えと心中する勇気がないから。
 今回は盲腸だからまだしも、これが不治の病となったとき、決断できる自信はない。

 インフォームド(患者に情報を提供)して、患者の判断に基づくコンセント(同意)を得るのが”建設的なやり取り”とはいえ、下した判断に自信が持てるものかどうか。
 ネットや医学書でどれだけ理論武装しても、専門家にはかなわない。
 自分としては、信頼できる専門家の判断に任せたいな、と。

 今回は、最後の最後で「手術 or 薬」のガイドラインを提示してくれたので一安心。


 こうして抗生剤と痛み止めを処方されたけど、副作用で下痢がべろべろです。

| author : もっちー | 00:31 | comments(0) | - |

利休にたずねよ

2009.03.24 Tuesday | category:深く考えたこと
 直木賞受賞作。その中ほどにある一章が「三毒の焔」。
 ここに書いてあるエピソードが、まことに深い。


 禅僧である宗陳は、豊臣秀吉や石田三成を目の敵にしている。
 彼らの血気盛んな(いまふうに言えばギラギラした)人柄を評して、下のように言う。

 ――まったく、人の世には、三毒の焔が燃えさかっておる。
 三毒は、仏法が説く害毒で、貪欲、瞋恚(しんち)、愚痴、すなわち、むさぼり、いかり、おろかさの三つである。
 つらつら思えば、世の中のわざわいや有為転変、人の浮き沈みは、ほとんどこの三つの毒で説明がつく。人が道を誤るのは、たいていこの三毒が原因だ。


 秀吉が天下人になれたのは、三毒が人並み以上に強いからだ、と宗陳は言う。
 そして、三毒に冒されすぎた俗人は、哀れで微笑ましい、とも言う。

 だが、そう評する宗陳の心は、三毒の裏返しに他ならない。
 三毒でおとしめる本人こそ、三毒の権化である。

 ――わしは、なにを思い上がっていたのか。
 秀吉や、三成が、毒に冒されていると見下していたが、その実、毒に満ちていたのは、ほかでもない、自分自身ではないか。そもそも、人を見下すなどということは、おろかさの毒のなせるわざではないか――。


 長明の無常観は、世知辛い社会のオアシスだ。
 老荘の考え方も、周期的にブームになる。
 これらはそろって、三毒を戒める。
 だけど、やれ無常、やれ無欲といっても、それは一時のまどいを酒で忘れるようなもの。

 そんな試合放棄の先には、何も生まれない。(
 そして利休は、宗陳に諭す。

「人は、だれしも毒をもっておりましょう。毒あればこそ、生きる力も湧いてくるのではありますまいか」・・・
「肝要なのは、毒をいかに、志にまで高めるかではありますまいか。高きをめざして貪り、凡庸であることに怒り、愚かなまでに励めばいかがでございましょう


 三毒は相手に向けるものではない。自分に対して向けるもの。
 そうであればこそ、毒が回らないよう、努力するしかない。

利休にたずねよ
利休にたずねよ
山本 兼一

| author : もっちー | 01:11 | comments(0) | - |

医薬品開発にプロダクトアウトを。

2008.06.22 Sunday | category:深く考えたこと
 経済の用語に「マーケットイン」と「プロダクトアウト」というものがあります。
 これらは経済の分野のみならず、あらゆる分野に応用が利くので、最近気になっています。

 ある商品開発を想像して。
 マーケットインというのは「市場が先にありき」。消費者がどのような商品を求めているか、という市場分析に基づいて、商品を開発していく姿勢。
 それに対しプロダクトアウトというのは「商品が先にありき」。新しいアイディアを持った商品を開発し、それを買ってくれる市場を作り上げていく姿勢。
 ばっさり言えば、こんな感じです。


 プロダクトアウトの好例が、iPodです。
 1990年代にウォークマン全盛期があり、CDやMDを入れ替えて音楽を楽しみました。
 このような携帯音楽を「着せ替え型」というなら、iPodというのは音楽を入れた機械をまるごと持ち歩いてしまおうという「ジュークボックス型」といえそうです。
 ウォークマンにみんなが満足していた――そんな市場をいくら調査しても、iPodというジュークボックスの開発にはつながらないわけです。

『iPodをつくった男、スティーブ・ジョブズの現場介入型ビジネス』のなかで、iPodに関するジョブズのコメントが印象的でした。
「ユーザー調査を通じて製品をデザインしていくことには、大きな困難が伴う。たいていの場合、消費者は、具体的な形にして見せてもらうまで、自分でも何が欲しいのかわからないものだからだ」(54ページ)

 世の中に新風を巻き起こすブームというのは、とかくプロダクトアウトから作り出されているように感じます。(「イノベーションはマーケット・インでは生まれない」日経BPネット)


 医薬品の開発というのは、とりわけマーケットインの傾向が強い分野です。
「どういう薬を開発するか?」という企業方針の裏には、徹底した患者ニーズの把握があります。

 製薬企業は人の命を預かっている業界で、さらに会社間の再編が相次いでいます。そのような背景にあっては、堅実なマーケットインは最良な方法なのかもしれません。
 とはいっても、心の片隅でいつも「プロダクトアウトで何かを創出できないか?」というアイディアを練り続けていきたいな、と実感する昨今です。(いまだ妙案はありませんが・・・)


追記:
「なにかいいアイディアはないかな」と軽い気持ちで考え出したものっていうのは、ありていに言ってしまえば、月並みな発想に過ぎないんですね・・・自分自身もまた消費者の一人で、そんな自分の気軽な発想は、とどのつまり市場分析の範疇だからです。
 ・・・プロダクトアウトの発想とは、解脱を求める修行僧みたいです。(2008.06.24)



iPodをつくった男 スティーブ・ジョブズの現場介入型ビジネス (アスキー新書 048) (アスキー新書 48)
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大谷 和利

マーケティング カフェ (PHP文庫 き 20-1)
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岸 孝博

| author : もっちー | 19:11 | comments(0) | - |

世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい

2008.05.12 Monday | category:深く考えたこと
世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい
世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい
森 達也

 著者の森達也氏は、オウムをめぐるドキュメンタリー映画「A」「A2」をつくった。
 オウム信者に焦点を当てた切り口は、「オウム擁護の映画」と批判されたようだ。映画を見ていないから、詳しくは語れない。(TSUTAYAで借りたから、もうすぐ見る)
 ただ、本の内容には深く共感した。タイトル「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」からして、なんだか心に響くものがある。キーワードは「相転移」と「想像力」だ。

 オウムの信者といっても、一人ひとりはいたって善良な人である。しかし、一が多となったとき、善良という感情が化ける。

 人は集団となったときにこの相転移を起こしやすい。一人称単数の主語を失うからだ。「俺」や「私」が「我々」や「国家」などの集合代名詞に置き換わるとき、人は優しいままで限りなく残虐になれるのだ。


「俺」が「我々」になること。それがオウムを引き起こす。
 そして「私」が「国家」にまで昇華されることで、9・11に対するアメリカの報復が起こった。

 アフガニスタンに暮らす人々の日々の営みにほんの少しでも思いを馳せれば、誤爆が頻発する空爆などできないはずだ。ガザ地区やヨルダン川西岸で戦争の砲撃に吹き飛ばされるパレスチナ市民たちの喜怒哀楽を思う気持ちが少しでも残っていれば、西側諸国はもっと真剣に事態介入を目指すはずだ。


 一人ひとりの人間に思いを馳せる。
 友達が風邪を引いたときにお見舞いに行き、友人の就職が決まったときにともに喜び、母の日にプレゼントを贈る。
 そんな素朴な気持ちを失わせるのが、相転移というわけか。


 想像力を失った思考停止状態では、世界を「善」と「悪」で切り取りがちである。昨今の「靖国」上映の論調も、ともするとこの落とし穴にはまりかねない。
 だけど、世界はそんなに簡単でない。
 多彩な価値観が入り混じった人間がたくさんいるから、こんなに面白いのではないだろうか。

 ここのところ、自虐史観で日本人は誇りを失ったと言う人が増えてきた。彼らは同時にこう言って嘆く。祖国のために戦った英霊たちを戦後の日本人は犬死にだと愚弄してきたと。バカじゃないか。天皇陛下万歳と叫びながら敵艦に激突した英霊たちを、僕は切ないくらいに愛おしいと思い、同時に馬鹿げた犬死にだと思う。二者択一ではない。世界はそんなに薄くない。人はそんなに単純ではない。そもそも矛盾と曖昧さを抱えた生きものだ。だからこそこの世界は豊かなのだ。

 複雑なものは、複雑なまま、話をしようじゃないか。
 答えがひとつに決まらなくたって、とことんまで語り合う。その語らいが、僕らの心に実りの豊作をもたらす。

 うん、本当にそうだと思う。

| author : もっちー | 00:32 | comments(0) | - |

しんみりと考えた

2008.02.27 Wednesday | category:深く考えたこと
 とある国際ミーティングに出席する数日。
 同世代の大学院生とうらなく話すと、なんでもない会話に刺激がひそむ。

 シンガポールから来た友人に、質問をされた。
「私たちの国は、その昔、昭南島と呼ばれていたのは知っている?」
 シンガポールは第二次世界大戦をまたいで激動の歴史を抱えている。
 彼女はその歴史を小学校で習い、1942年から日本がシンガポールを占領し、その作戦を指揮した山下中将の名も知っている。

 そんなこと、まったく知らなかった。
「僕らも日本の歴史を習うけれど、戦争をめぐっては、日本側の視点からしか学ばないんだ。日本のなかには、アジア各地の悲劇を知らない人もいるくらいだよ」
「そうだよね。それも含めて知ってるよ」
 思わず無知を恥じる。
 そんな彼女は、日本が武力放棄をしていること、その一方で自衛隊を持っていること、そして自衛隊の活動は「戦争」ではないのか?と指摘する。ともすると、僕らよりも知っているのではないだろうか・・・
 それでも彼女は笑っている。
「いまこうして国際会議とかで仲良くなればいいと思うんだよね」

 各国はいろいろな歴史を持っている。それはときにわだかまりを生み出すけれど、今を生きている人の多くは、それを気に留めていない。
 実際にそういう会話をしていてあらためてそう思い、ちょっとだけど、しんみり。

 Why don't we enjoy our life, right now?


| author : もっちー | 01:29 | comments(1) | - |

インフルエンザのまわり

2007.12.09 Sunday | category:深く考えたこと
(朝日新聞)インフル治療薬 リレンザで少年が異常行動
 タミフルがもたらす異常行動は「薬剤の脳移行によるものではないか?」と言われています。一方で、リレンザは水溶性が高すぎるため、脳に移行するとは思えません。同じインフルエンザ治療薬として、両者をひとくくりにして語るのはどうなのでしょう。
 違う薬を一つに語るより、共通項であるインフルエンザに異常行動の原因を求めるほうが、自然な発想だと思います。(それともなにか知らない情報があるのでしょうか・・・)

(読売新聞)「異常行動などとの因果関係認めよ」…タミフル被害者団体
 因果関係とは原因と結果の”つながり”を意味するものです。そして、その”つながり”を証明するのが厚労省の検査です。
 タミフルの使用を見合わせるといった慎重な対応はいいにせよ、検査結果を批判して因果関係の認定を求めるというのは、なにか筋が違う気がします。もちろん裏には、国の検査への不信感があるのでしょうが・・・。
 お互い情報開示しあいながら、客観的に評価できるといいですね。

 タミフルをめぐる一連の流れを把握しきってはいませんが、どうやらタミフルが悪者になりつつあるようです。身の回りには、その恩恵にあずかっている人もたくさんいるのですが。

| author : もっちー | 00:12 | comments(2) | - |

漱石に叱られる

2007.11.17 Saturday | category:深く考えたこと
 日ごろのよすがにと「文豪・夏目漱石――そのこころとまなざし――」に行ってきた。せわしない日々に趣きのちがう風を引きいれると、日常がどれほど煮詰まっていたかがわかってくる。

 青年期の漱石のノートを見ていると、時代は違えど焦りを覚える。
 二十歳そこそこの青年が、海外の先人の作品を読みこなし、それに対する批評を格調高く英語で論じる。同じ年齢の自分を想像して、思わず途方にくれた。

 内田樹は『子どもは判ってくれない』のなかで、最近の若い世代は「ほかの世代に対して閉じている」と述べている。自分の能力を推し量るときに、その対象が同世代ばかりということだ。
 内田氏自身は、18歳のとき「フランソワーズ・サガンにも三島由紀夫にも大江健三郎にも嫉妬していた」。果たして自分はどうかと省みると、これは耳が痛い。偉大な先人に「すごいな」とは思えど、それを自分に投影するまでにはいたっていない。

 しかし今日は違った。
 漱石を見ていると、畏れ多くも嫉妬を感じる。

*

 大学での研究も集大成に入った。
 ラストスパートのスピード感には、これまで六年間の鍛えを実感し、我ながら満足を感じていた。そんな忙中にご褒美をくれるはずだった漱石から、とんだお叱りを受けてしまった。

 自戒を込めて、「漱石山房」の原稿用紙に、手書きでしたためてみた。
 雰囲気がわいてくる。一字一字が、頭にしみた。

| author : もっちー | 01:23 | comments(0) | - |

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